ニュースレター第1弾を公開します

【テーマ】『植木職人になって楽しむ第二の人生』~人生後半戦がおもしろい~ ⼋雲サロン第327回(2013.9.11)

【ゲスト】井原 修(都22機)

●お話の概要
 サラリーマンの家に生まれ、サラリーマンをやっていた私が、退職後、なぜ植木屋をやっているか。その経緯を述べることで、これからリタイアを迎えようとする方、すでに迎えられた方々の第二の人生の過ごしかたへのヒントと参考になればということで本日はお話をさせていただきます。植木屋としてのキャリアは、まだ3年ですが、その部分についても、若干取りあげさせていただきます。
●生い立ちから就職まで
 私は、大田区で生まれ、横浜市鶴見区の鶴見川のそばで育ち、今でもそこに住んでおります。中学は、中高一貫の東京タワーのそばにある芝学園に進みました。一貫教育の良さを実感して、 3人の子供も、一貫校に入学させました。高校卒業後、工学部の機械科に入学、 74年、卒業と同時に、三菱自動車に就職。分社した三菱ふそうトラック・バス会社で35年問勤め、 4年前、 58歳のとき、早期退職しました。同社は、 JRや都営のバスやトラックのほか、除雪車、特殊なものでは、石灰岩を宇部港まで輸送する超大型トレーラーなどを作っておりまして、私はそこで、駆動系、おもにクラッチ・オートマチックトランスミッションの開発・設計に27年間携わりました。会社は、三菱のプランドは変わらないものの、2005 年には、ドイツのダイムラー傘下となり、外資系の自動車メーカーに生まれ変わっております。
●会社生活
 会社は週休2日で、それを利用して、テニスやスキーに打ち込みました。マッターホルンで滑ったこともあります。結婚して新婚旅行はカナダでした。家庭を持ってから、オートキャンプにはまり、大型連休などはデリカ 4WDで、各地のキャンプ場めぐりが習慣となりました。ただ、子供が大きくなるにつれ、会社での責任も重くなり、仕事も忙しくなって徹夜が続き、ほとんどノイローゼ状態で余裕のない会社人生を送っていました。そんなとき、実験課に移り、少し余裕がでてきたころ、妻が新聞で見つけてきたのがジュニアヨット教室でした。これは、親子で参加が条件の教室でしたので、強制的に子供との触れ合いができました。男の子は小学4年のころから参加し、大会にも出て親子で全国を飛び回りました。自分自身もヨットスクールに入って、操縦を覚え、知り合ったヨット仲間とクルーザーにも乗るようになりました。今でも、杉田や葉山のハーバーには通っております。
●趣味の広がり
 2003 年ごろ、スーバーセブンという余計なものの一切ついてない車を購入しました。 それをいじくるガレージを日曜大工で造り、これは学研の「マイガレージスタイル」という専門雑誌に掲載されました。また憧れだった大型の外国製のキャンピングカーも、このころ購入しました。父親も亡くなって、遠慮なく好き勝手をやっていたわけです。
●退職
 会社は外資になって、やり方も変り、利益を上げることが至上主義となり、経理が幅をきかすようになって、高齢者に対する風当たりも強まりました。肩たたきをされるのをいさぎよしとせず、定年まで2年を残して、早期退職をいたしました。
●職人への道
 退職してからは今までできなかったことを実現させました。まず、夫婦で九州を16日間かけて車で回りました。妻は仕事を持っていますので、飛行機で旅先を往復したりしました。スーパーセブンの蓼科で開かれるオフ会にも、参加しました。このように、優雅な生活を6カ月間、過ごしておりましたが、自動車工業会とか、事務の仕事はありましたが、雇用保険が切れそうになった頃から、別の仕事を物色しておりました。ある時、ハローワークの掲示板に技術訓練校の募集を見つけました。そこにアウトドア派にぴったりの造園科がありました。1年コースの募集は締め切っておりましたので、2カ月間の短期講習しかありませんでした。たった5名の募集でしたが、なんとか入学することができました。卒業制作で、小さなものですが、庭を造り、3期生として卒業できました。ただ、さすがに2カ月問の勉強ではプロになるのは無理で、プロになるためには、その世界に飛び込むしかないと紹介を講師の親方にお願いしたところ、明治20年創業の川崎の小向にあるその親方のところで働かせてもらえることになりました。以来2年間、下働きから植栽、刈り込み、高木の剪定までを修行しました。
●別荘ライフ
 話は前後しますが、会社を辞めたばかりの頃、茅野市に友人がログハウスの別荘を持っており、よく遊びに行っておりましたが、となりの家が売りに出されるというので、即決で賂入しました。これで別荘ライフが始まり、それこそライフワークになりました。周囲の林を切り開き、それから本格的なリォームが始まりました。屋根・壁を塗り直し、庭整備いたしました。春先には、ツツジが花をつけます。その後、木工房を作るということで、自分で作った型枠にコンクリートを流して基礎を造り、今年の8月にはウッドデッキも完成いたしました。
●独立
 親方のもとでの2年を過ぎ、独立することにし、かねてから会員となっていたシルバー人材センターの仕事を請けることになりました。営業はせず、センターからのFAXを待ちます、下見、見積もり、工程づくり、作業とすべて一人です。ただ、時間的に自由に働け、しかもやればやっただけの収入はあります。週4-5日のペースでやっています。仕事はどんどん来て、今は12月の予約も入っています。お客さんはお年寄りが多く、昔は自分で庭仕事はやっていたが、危ないと止められたケースがほとんどです。
●木の剪定
*木の形を整えるには忌み枝とういものがあり、これを取り除くと、ある程度格好がつきます。忌み枝とは、内向枝・枯れ枝・立ち枝・交叉枝・車枝•平行枝・徒長枝・ひこばえ・下がり枝・幹ブキとか胴ブキとか呼ばれる枝です。これらは切り方が、決まっております。形を整える枝の切り方は、樹観ラインを設定して、それに収まるよう切って行きます。切り方は、芽の付き方によっても違います。大体は外芽で切ります。枝は互生、対生、輪生によっても、落とし方が決まっています。
*落葉樹の剪定:例えばウメの木などですが、樹観ラインを設定して、その中に収まるように切ります。枝を短く剪定すると、花つきがよくなります。
*常緑樹の剪定:例えばキンモクセイですが、これも落葉樹に準じますが、枝の混み合った部分は蒸れないように、風が通るように切っていきます。
*針葉樹の剪定:例えばカイヅカイブキなどでは、刈り込んで樹形を整えます。先祖がえりの松のような枝を根元から切り落とします。
*かんきつ類:これも忌み枝を落とす、樹観ラインを整えるのは落葉樹と同じです。また、風のとおりがいいように、枝を杭いていきます。
●庭造り
*四つ目垣:竹を格子状に組んで、シュロ縄で結びます。結び方も、緩みにくい男結び(イボ結び)という独特な結び方で結わえていきます。
●免許
 造園作業にはいろいろな機械が使われますが、私が免許を持っているものは次の通りです。
*チェーンソ—:伐木に使われます。切り方は倒そうとする方向に受け口という切り欠きを入れ、反対側に追い口という切り込みを入れると自然に倒れます。倒木が跳ねて危険なので、あらかじめ決めてあった逃げ場所に隠れます。
*バックホー:掘削機のことです。穴の掘り方もショベルを引きずりながら掘るテクニックもありますが、慣れですね。
*刈り払い機:草刈機のことです。円盤状の刃が回転します。木に当たったりすると、刃先が思わぬ方向に向かい、非常に危険です。作業中は近づかないことです。
●植木屋になっての信条は、「好きになったことをやるからには本気で」。これが大事かなと思います。むろん第二の人生ですから、自分の時間も大事にしたたいとも思います。これを自分でコントロールできいるシルバ一人材センターの仕事はとても良いものだということを強調して、お話を終わりたいと思います。

【現役学生の感想】

法学部 I.T.さん

 日常を彩っていく姿勢に感銘を受けました。気になった物事には迷わず飛び込んで行くことで、多くの経験を得ることができるという教訓を背中で見せて下さるようなお話でした。植木職人の仕事は、樹木の種類に合わせて剪定方法にこだわりがあったり、道具を使い分けていたりとこんなところまでこだわってなされていたのかと驚かされました。お話を聞いてからは、気にも留めていなかった近所の庭にもつい関心がいってしまうようになるでしょう。